私たちの研究室では、特別な教育的ニーズ論の考え方を基本にすえて、「環境」との相互作用を考慮しながら様々なレベルでの「障害」について考えていくことを心がけています。 それゆえに、たった一つの答えを導くような研究にはなりません。「どうしたらもっとよい環境をつくれるだろうか」と一所懸命に「ああでもない、こうでもない」と考えています。 机の上だけで考えていてはだめです。でも、考えを深めることなく実践に携われば、どこかで「マニュアルのような」実践になってしまう危険性があります。書店には、「誰でもできる特別支援教育」などとうたった書籍が増えてきました。 でも、実際には、そうした本に書いてあるようなことは、取り組みのきっかけにはなっても、長期的には子どもたちの成長に資する実践を導くことが難しかったりもします。 「学びて時に之を習う」という言葉は、座学と実践の両輪の大切さを教えている言葉です。一方だけでは、良い方向にはつながっていかないのです。 前者だけでは机上の空論になってしまうことがあるでしょうし、後者だけではもし誤った方向に向かってしまっているときに、それに気付くのが遅れて取り返しのつかない過ちを犯してしまうことがあります。 外国や日本の制度は、表面的な理解に留まりやすく、それが誤解の原因となります。そして、そうした誤解が、制度がつくられた当初の趣旨を大幅に逸脱した実践につながってしまう危険性を持っています。 たとえば、 「インクルーシヴ教育」は、「通常学校にすべての子どもが通うようにすること」と思っていませんか?
こんなことをいうと、 でも、障害者権利条約には、「障害のある子どもが障害のない子どもと一緒に教育を受けること」がインクルーシブ教育であるとはどこにも書かれていませんし、それは権利条約の趣旨ではないのです。 少し勉強している人からは、またまた反論が返ってきそうです。「いやいや、そんなことはない。障害を理由にして通常教育から排除されてはならない、と書かれているではないか」と。
たしかに、そのように説明している日本の書籍は多いですよね。
誤解のないように補足します。 様々な選択肢を用意し、それぞれの有効性と限界をしっかりと考え、また、それらが各時代の要請と共にどのように効力を持つのかを、多様な角度から考えることが大切です。
私たちの研究室では、こんなことを主題にしながら、各学生が自らの課題意識に沿って学習を進めていきます。
ゼミ生の修論・卒論テーマは様々です。各々のテーマについてどこまで深めていけるか、皆でたくさんの努力をしたいと思います。 |
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研究室の学生による紹介もそのうちに開設します。
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